産経新聞にてインタビュー

完全燃焼するまで歌いたい

 歌手人生の転機は一昨年のちょうど今頃だった。デビューから13年「哀愁フェリー」が有線放送を中心に初ヒットとなり、日本有線放送大賞で有線音楽賞を受賞した。以来「フェリーの三田」として活動の幅が全国に広がっている。

 「やっと土俵に上がれた感じでこれからが本当の戦いです」
 歌手になろうと思ったのは意外と遅く社会人になってから。きっかけは大学時代の応援部時代で、度胸試しに電車の中で軍歌などを歌っていて乗客から「うまいね」と何度かほめられるうち歌に目覚めていったという。アルバイト先のスナックでも歌を披露。十八番は山本譲二の「みちのく一人旅」で、地方テレビ局の歌番組では在学中に二度優勝した。
 
  卒業後は地元の自動車部品会社に就職。五年間勤めたが、TBSテレビの「日本アマチュア歌謡祭」で優秀歌唱賞を受賞したのを機に有名作曲家の下へ弟子入りした。
三年後にデビューしたものの、売れずに苦しんだ。歌だけでは食っていけず、スーパーや運送会社でアルバイトを十年間続けた。名前も四回変え、美川憲一の物まねをしたりもした。
 
 それでも歌への情熱は失われなかった。
デビューしてすぐに亡くなった父親が歌手になることを応援してくれていたこともあり「完全燃焼するまで歌い続ける」と、踏ん張った。
 
  そんな中で売り出されたのが北海道・苫小牧港発のフェリーを舞台にした「哀愁フェリー」だった。
十年前にすでに作られていた歌だったが有線会社社長の耳に留まり、有線で流すと問い合わせが殺到した。
 
  昨年はこの曲を引っさげ、一人で三ヶ月間かけて全国各地をフェリーで回るユニークなキャンペーンを展開した。
 
  「歌好きの人が全国にたくさんいることを知り、そういう方々とふれあえたことが良かった。あまり盛り上がらなかったところでも『感動した』なんていう手紙を後からもらうと歌手やってて良かったって思いますよ」

平成14年12月19日産経新聞より